言語学習は記号学習

言語学習と言語習得を円滑にする技法を探る日々

外国語学習と記憶

 英語という学校教科として英語を好きという人は、そう多くないでしょう。

 しかし、英会話として英語を話したいという好奇心を強く持っている人は、日本中に多くいるはずです。

 どうしてこのような誤差が生じるのでしょうか?

 英語を話したくても話せないという人々の間では、古い教育カリキュラムで学習を進める日本の学校方針が何も改変されていないことが問題にあるとされてきました。

 だからどうすればいいか?

ということで、文部科学省も何やら模索を始めているところです。

 私たちが目指したい英語能力は、コミュニケーションを図るために必要な英語知識と会話力です。

 そこで、コミュニケーションを図る英会話をするためには、英語という学校教科が得意で、いくら試験やテストで高得点を取ったとしても、会話をする訓練が必要になります。

 訓練?! 

と表現すると、何やら堅苦しい響きに聞こえますね。もっと単純にいえば、持っている言語知識を利用する(その言葉を使い活用する)能力を鍛える!

という訓練です。(^∇^)

 日本語で例えましょう。

「りんご」を知っているとします。りんごを会話で活用するには、りんごに関連する場面や文脈が状況に組み込まれている必要があります。そして、人が「りんご」という言葉を利用し、意思伝達を試みます。

 次に、場面設定として、テーブルにりんごが置いてあります。とてもお腹がすいた状態なら、あなたはきっとりんごが食べたいはずです。

 幼児であれば「りんご!」の一言でお腹すいたの?食べたいの?好きなの?などと周囲の人が察してくれるでしょう。しかし、大人なら、周囲の人の反応は「りんごがなんですか?」

となる事でしょう。

 よって、りんごにつながる次のフレーズが必要になってきます。

 

 「りんごを食べてもいいですか?」

 「このりんごは、食べられますか?」

 「りんごは誰のものですか?」

 「りんご食べたい!」

 「りんごおいしそう…。」

 その他いろいろ…。

 

など、「りんご」の単語以外の関連フレーズが、会話には必須となるわけです。

 要は、闇雲に単語暗記をしたところで、社会人らしいカッコいい英語でのコミュニケーションはできないと言えます。

 よって、ある単語を一つ暗記したならば、その単語に関連する言葉(コロケーション)を知らなければなりません。

 (他の例で単純に、「ナイフ」と関連する言葉(コロケーション)は、

「切る」「とがっている」「けがする」「刺す」「危ない」などがあげられます。)

 このような、関連ある言葉(コロケーション)を同時に学習することにより、会話のために必要な文章が作成でき、また会話のために必要な訓練の「土台」が出来上がるわけです。(╹◡╹)

 

 そこで言葉を「記憶する作業」です。記憶や暗記となると、皆様英会話学習を断念される…。

(>人<;)

 実は、記憶と暗記は全く別です。記憶は、生活において必要不可欠で有れば忘れないのです。そこで暗記となると、「無理矢理覚えて忘れない努力を毎日する事」になります。

 正直、暗記は疲労をともないますね。(>人<;)

 

 では、記憶です。

記憶は呼び起こせます。

「朝ごはん何食べたかな〜?」

大体の人は、思い出せます。思い出すために何を頭に浮かべましたか?きっと映像です。

 焼き立てホヤホヤの食パンや、コップにつがれた白い牛乳、熱々ご飯がのったお茶碗の光景、味噌汁もお椀につがれて映像化されていましたか?

 まさか、これを思い出すのに、漢字や文字、言葉で思い出した人はいましたか?

 (記憶は映像で思い起こすと、作業が早くなります。因みに、その映像を人に伝えるために言葉が利用されます。これは、記憶とは別の作業方法として区別します。)

 英語という教科を勉強していると、なぜか単語やアルファベットで文字化された言語という記憶を、呼び起こそうと努力します。表記された英語という単語には、色もなく、光もなく、音もなく、なんと無表情な事でしょう!!可愛くない!(>人<;)

 しかし、日本語にした場合、ある程度私たちは既存の知識に頼って、言葉に色、音、感触、視覚等の関連情報を引き出すことが可能です。そうなのです。英語の単語には、既存知識に頼った関連グラフィック化の想像が、とても小さい範囲枠に限られていることに気づきます( ゚д゚)。

 それだけ、日常生活において、英語という単語が生活の中で常用化されていない、身近な環境には使用されていないと言えます。

 では、新型コロナ流行当初に、「クラスター」「ロックダウン」「オーバーシュート」などという、耳慣れない英語がメディアやネットで使用されはじめました。はっきりいうと、日本人である私たちには、わけのわからない言語表記です。これが外来語というものでしょう。当時、私はすぐに意味を知りたくてネット検索にかけました。しかし、コロナウイルスに関連する意味として、その的を得た日本語で意味を教えてくれる検索結果が全く出てきませんでした。

 半年も経った現在では、ようやくその言葉の使い方にも慣れ、日常会話に使用できるほどの既存知識として、私たちの一般常識という既存知識にやっと蓄えられるほど、言葉の汎用度が上がりました。

 そうなんです。生活に必要不可欠で有れば、ちょっと不可解な英単語も、映像やイメージ、環境という情報を経て、言葉は記憶に残るという事なんです。

 

 これが、外国語学習と記憶という基底になり得るのだろうか?

 グラフィック化された映像は、記憶に残りやすい!?

 これを言語学習のある概念とした上で、外国語学習のあり方を模索していく予定です。(^∇^)

グラフィック化に必要なテクニック?!

 今日は、大学のスクーリング授業受講前から気になってた本が届きました。

 

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「Graphic Recorder 議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書」清水淳子著です。

 

 私は、幼少の頃から絵を描く事が好きだったのですが、

成長するほどに絵を描くことに自信がなくなり、大人になって数十年間、絵心を無くしてしまいました。

 可愛く書いたり、綺麗に書いたりする事こそが、絵の醍醐味だと信じ切っていた私は、自分の絵が下手くそに見えて、何かを表現し、描きたいという意欲を失っていました。

 今の時代でこそ、デザインは、パソコンで簡単に作れます。わざわざ手で描く必要があるでしょうか?

 そんな風にも思っていたのです。

 ですが、今回、大学の講義に出席し、その思いは大きく覆され、反対に何か別の自信を得るきっかけになったのです。

 本来のグラフィックレコーディングの目的は、対話を可視化し、それを活用するための記録という捉え方ができます。

 よって、絵が下手くそだとか、苦手だという意識が先行しがちな描写感情よりも、どのように簡易化させて表現するかという意識に重点が置かれていくのです。

  授業では、表現するために必要な、絵を描く表現技法を知ることができました。丸と四角と三角と星。この図形が描ければ、大体の描写が簡単にできるという、目からウロコの描き方テクニックでした。あとは、個人的に、色や付け足しをしていけば、それらしく見えていくのですが、議題に沿った話の流れについていきながら、絵や文字で、対話内容を描写していくので、あまりに複雑な絵を描いている時間はないとなるのです。

 グラフィックレコーディングは、素早く簡単にグラフィックを描き、かつ話題の内容に要約を絞った描写が大切になります。

 こう考えると、絵が下手だとかいう劣等感よりも、見た人にわかりやすく理解してもらえる丸人間や棒人間を描いていれば、それなりに伝わる絵が描けることに気がつきます。(^∇^)

 

 授業で扱われた絵の描き方です。

 

 

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 このような視点から考えると、絵を描くという事は、もっと楽しみながら描いていい物だと、考え直すいい機会になったのです。(*゚▽゚*)

 

グラフィックレコーディングと言語学習

 

 「グラフィックレコーディング」を大きなカテゴリーで説明すると、

 

 会議や対話の中で出てきた意見や発表された考えを、紙や模造紙に、絵や記号そして文字などでメモ化していき、議論の流れを残していく記録のことです。その記録をフィードバックすることで、発言者の軸となり、意見のブレをなくしたりします。またその発信者自身の客観的気づきを促すなどに活用可能。その他、会議や対話で意見をしなかった人が、その記録に直接意見を書き入れる時間を設定し、全参加者たちが内面に秘めている考えをも引き出そうとする技法です。

(私なりの見解です。一般的捉え方は他にもあるはずです。)

 この分野が新しいのは、表記したメモには、文字だけでないグラフィック(顔の表情の絵など)が加わることです。文字や言葉に、人の感情を書き添えることで、意見を発した人の感情や気持ちを添付することが可能になります。

 

 私が大学で受講した「対話を見える化(可視化)するコミュニケーション」は、出村(鈴木)  沙代講師が、グラフィックレコーディングの活用例を、二日間にかけて伝授してくださいました。このブログを始めるきっかけも、講師の先生がこのはてなブログを利用していたことが始まりです。

 

 実は、英会話教室を個人運営している時、

ある生徒が、この手法を一部先取りしていました。英単語練習としてA4サイズのホワイトボードとマーカーを手渡すと、単語や文字を書いた後に、絵文字を添えて表現する生徒がいたのです。絵文字は何分もかけて繊細に書き上げるものではなく、「丸書いてチョン」の感覚でした。可愛く、そして表現豊かに書き添えられていました。(*☻-☻*)

 平成世代の子供たちが、絵文字を取り入れたメールやチャットに関わってきた先駆者であることから、彼らにとってはグラフィック化(絵文字化)が生活の一部になっているように思われます。

 しかし、気難しい塾の企業運営では、絵文字やまる人間のような遊び絵を、紙に書いて勉強していたら、あまりいい顔はされません。(>人<;) 個人運営をしていた私は、多くの文字や英単語に、感情を添える暗記法を模索するようになっていました。

 しかし、12年間継続した個人経営から、企業塾へと転身した私は、一時期、「指導者としての講師」という立場を強いられ、このような分野を忘れて行ってしまっていたのです。

 

 のちに、日本語教育の世界へ転身をはかろうと通信教育大学へ入学してから、忙しく過ごす生活のローテーションが始まりました。そして、考える物づくりという作業工程に日々追われました。それがレポート提出です。単位取得のためには、レポート提出。文字や言葉を扱うのは好きでしたが、的確に事柄にマッチした単語選びは、やはり至難の業です。ですが、理解を促すために必要な論理的思考の構成術や、仲間や参加者に事柄を説明したり納得をしてもらうプレゼンテーションのあり方など、数あるテクニックをも学ぶことができました。大学に入る前は、情熱だけでなんとかなる!と、高を括っていたのですが…( ゚д゚) (以前の私は、短絡的思考所持者でした。)

 そして今回、参加型授業による講義にて、グラフィックレコーディングと出会いました。

 

それでは、当時英会話教室で、グラフィックと言語学習をどう模索していたかがこちらになります。

 

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まずはアルファベットの字遊びです。

 

 

文字と記号

人は人と関わりたくて言葉を使う生き物です。

言葉は、共通認識であることが基本で、人がお互いに、楽しい、悲しいという感情や物事の詳細を伝え合う、人間文明に生まれたツールです。

 

共通認識できる言葉とは?

それは、意味のある音、表記、記号、文字を用いて理解しあえる伝達方法を、個々の人たちが所属する社会やグループ内で所持しているということでしょう。

日本語だったり、英語だったり、韓国語、手話もですね!(最近では、プログラミング言語などの要素もありでしょうか。)

 

そこで、

スペイン人、中国人、ロシア人、カナダ人、アフリカ人などなど、個々に違う人種が一人一人(共通認識できる言葉のツールを持ち合わせずに)集った場合、どうなるのでしょう!?

 

物質的に欠けてる環境なら、きっと物の取り合いでケンカが始まりますね。(>人<;)

しかし、物質的環境が満たされていて、欲にとらわれない環境であれば、互いにコミュニケーションをはかろうとするはずです。^_^ 

(ここでは文明が発達し、それぞれの人が道徳観念を持ち合わせている事を前提にします。)

 

「名前は?」 「どこから来たのかな?」 「好きなことは?」

 

聞きたい事は互いに胸のうちに秘められていても、共通認識で持ち合わせた言葉を所持していません。

 

そんな時に、紙と鉛筆です。

 

言葉や文字、音や声では伝えられない感情や情報。

それらは絵にすることができるんです!

 

と気づいたのは、「グラフィックレコーディング」を学ぶ、大学の講義に出てからの事です。

 

私は英語が大好きで言語学習を継続してきました。しかし、独学の道は険しく、記憶に残らない単語も多くありました。

そしてある日気がついたのが記号です。

数学は記号の世界であり、それとは対照的に、

文学は文字の世界だと決めつけていた私でした。

しかし、実は、そうではない事に気がついたのです。

( ゚д゚)

英語の前置詞と呼ばれる単語、

これらは記号なのです。(後々詳しく説明します)



“記号は、絵を平易にしたものだと言えます。

絵は可視化された情報です。

見える物は共通認識で、互いに人同士、

肉眼で理解し合えます。”

 

 

この一連の関係に気づいた時、言語学習と言語習得にグラフィックレコーディングが使用できるはずだと考えが行きつきました。

 

ところで皆さん、グラフィックレコーディングをご存知ですか?